トリックの種類 

自然を正確に観察できる技術が発展しても、それをトリックで解析していたら何にもならない。アインシュタインが登場するあたから、おかしな学者連中が物理法則をメチャクチャにいじくってくれたおかげで、今の物理学、特に相対論をはじめとする理論物理学や宇宙論で、数えきれないくらいトリックが使われているヨ。

ここで紹介するトリックを一人でも多く理解して、相対論のような疑似科学にダマされることがないようにしたいネ。

point

トリックを見破るには、
何を求めたいのか、目的を明確にして、
数学の基本に忠実に、正しい方法を選択する


数学トリック

数学の不完全な表記法や、知識不足で発生するトリック。数学の基礎を無視した相対論には初歩的な数学の誤謬が相当数含まれている。


暗算によるトリックと影響
     (科学史上最強のトリック)

  • 暗算による方程式の記入漏れ

    暗算で処理した演算が表記されないことで、等式であるべき方程式が不等式として扱われる。光速度不変の原理と相対性原理との矛盾は、相対論よる解決よりも前段階で暗算部分の表記で等式が成立する。

  • 暗算による定数と変数の等価性

    光速度不変の原理では、途中の演算を記録せずに解であるcを先行させる。複数の座標変換を暗算で処理した結果得られる原理には、あらゆる座標系で成立する変換関数は、パラメータが定数ではありえない。cを変換関数で表記するなら同一の値を持たず、定数=変数が根底で成立する。

  • 暗算による不要な方程式の追加

    暗算により見かけ上の不等式となった方程式は、等式を成立させるべく関数τが付加される。もちろん、等式であれば、不要な関数は考える必要もない。

  • 暗算による検証箇所の消滅

    表記されない演算が原因で変形した方程式は、検証するべき演算が表記されていないことから、検証の段階ですでに検証対象から除外されてしまう。上記の暗算による効果を認識していない限り、検証の対象になることはない。


同じ文字の使いまわしによるトリックと影響

  • ニュートン力学の光速度Cと相対論の光速度cの混同

    光速度不変における光速度cは、いかなる座標変換でも影響されないという前提によって、物理的な演算が無意味になるが、ニュートン力学の光速度Cも同じ「c」で表現することで、相対論の方程式にガリレイ変換を取り入れている。

    ニュートン力学と相対論の光速度を「C」と「c」と明確に区別するだけで相対論の理論展開は止まってしまう。

  • 未知関数τから係数τへの定義変え

    未知関数は無数にある解を特定するのが困難だが、未知関数と定義したものを係数として扱うことで特定の解のみを摘出したように見せかけることができる。特殊相対性理論の論文において、未知関数τと定義されたものが係数τとして処理される。無数にある他の解、特に(+v)について言及されないままローレンツ変換を解と断定している。

    未知関数であることを明記する記述をすることで、他の解の考察が避けられず、相対論は未知 を避けることができなくなる。

  • 時刻tと時間tの混同

    時刻tを時間tと同等に扱うことで、時刻tの基準である時刻0と時間tの基準である時間間隔0が同等に扱われる。複数の基準が同一視されることで、バックグラウンドで座標変換が実行さることになる。

    時刻tと時間tと明確に区別しし、時刻は1座標値、時間は2座標値の差で表記すれば解消される。

  • 負の符号「-」、減算の「-」の混同

    負の値と減算をどちらも「-」で表記した場合、方程式と値の見分けがつかなくなる。座標理論で負の値を示すものを減算と勘違いして方程式に取り入れてしまう。またはその逆。

    「符号-」、「減算-」と書くと勘違いはなくなる。

  • 正の値「+」、加算「+」の混同

    「-」の場合と同様だが、正の値の「+」は省略していいという決まりがあるために、「+」と表現した加算は省略されて方程式から加算のプロセスが見逃されてしまう。またはその逆。

    「正の+」、「加算+」と書くと勘違いはなくなる。

  • 「±」の用法のあいまいさによるもの

    「±」は、平方根の解などで正負どちらの可能性もある場合に用いられる。相対論のような座標理論で平方根が用いられるのは、ピタゴラスの定理で線分の長さを出すのが目的であり、解の符号はおのずと正負どちらかに限定される。アインシュタインは負の解の可能性について考察した後に正の解だけを採用しているが、これが速度の上限を作り出している。また、負の解を考察することで虚時間のような虚数解を発生させている。

    演算前の符号を継承するべきかをよく考察すれば避けられる。

  • 質量Mと運動量Mの混同

    E=mc2の導出で、質量Mの物体を運動させた後に、運動量Mを速度vでなくvで割っている。速度成分を一般化した運動量1MをMと略記することで、運動エネルギーMが質量Mとして評価される。物体Mの運動が一般化されたにすぎない。

    文字式だけでなく、質量や運動量、速度などの属性を書き込んだ式で確認すれば勘違いはなくなる。

  • 虚数iと電磁気学のiの混同

    相対論における虚数解の妥当性について「電磁気学でも虚数iは使われている」という釈明があるが、電磁気学のiは識別子。虚数とは根本的に異なる。

    電磁気学のiは、虚数の意味を持たない他の記号で代替できる。


解法や展開方法のトリック

  • 表記方法を明記しない理論展開

    通常のニュートン力学で語られる理論では、ガリレイ変換とデカルト座標を用いて表現するのは暗黙の了解となっている。しかし、ニュートン力学を否定した相対論では、表記方法について言及することはなく、ローレンツ変換の導出に利用したガリレイ変換やデカルト座標は、理論の完成後に否定される。

    ガリレイ変換とデカルト座標は用いないと宣言してから相対論の再構築ができないなら、相対論は虚構でしかない。

  • 「同じ方程式にする」の勘違い

    式に含まれるパラメータの正負は方程式の加減法と区別しなければばらないが、ガリレイ変換のベクトルが異なるだけで、アインシュタインは方程式が異なると判断している。すべての座標系ですでに同等なガリレイ変換が示されているにもかかわらず、正負の値までを方程式に取り込んだために、穴埋めをするために無用な理論が構築されている。

    ガリレイ変換を文字式でなく、言葉を用いた式で表現するなら、常に一定だと理解しやすい。

  • 二乗して平方する意味

    ピタゴラスの定理を利用して辺の長さを求める場合、求めたい解が明らかに負の値と判明しているなら、「二乗して平方する」算術を採用した後で、負の解を採用する。「二乗して平方する」のは長さを求める方法の1つにすぎず、計算の目的に符号の解明が含まれていない場合は、符号の決定に利用するべきではない。特殊相対論において、ローレンツ変換の正負を確定したり、発展させて虚数解まで考察するのは、「二乗して平方する」本来の目的を忘れて、副作用に着目したのが原因。

    座標理論でピタゴラスの定理を扱う場合、式でなく作図で符号を確認することで誤りは避けられる。

  • 一般化による理論式の制約

    単位の設定なしに物性同士の関係性を一般化すれば、量に関する情報を放棄したことになる。E=mc2は一般化された後に単位を設定している。この式に数量に関して情報を求めるなら一般化でなく、実際の実験が必要になる。

    何のために一般化という作業をするのか理解できていれば、E=mc2を評価することはない。

  • 直行座標上の歪んだ座標系

    歪んだ時空を示す座標系は、必ず基準となる直行座標上で測定されている。そのため、時空の歪みを表現するミンコフスキー空間等にも、その基礎部分で必ず直行座標が用いられている。

    直行座標を基準に計測することの意味を理解すれば、相対論の基礎がにユートン力学だと理解できる。

  • 座標理論で絶対値を採用

    座標理論で速度を扱う場合、距離と時間のベクトルを考慮して正負の符号をつける。距離、時間、速度に絶対値を採用すれば、原点を移動したことになり座標変換を求める理論として機能しなくなる。

    すべてのパラメータを同一の座標値で表記すれば、原点の移動はあり得ない。

  • ベクトル合成と成分加工の順番

    ベクトル合成前に各成分を加工してから合成した場合、加工分の誤差が生じる。また、ベクトル合成後の成分を加工してから分解した場合は加工分が不足する。ベクトル合成の順番次第で各パラメータが増減する。ローレンツ変換係数の導出やE=mc2で見られる無から有を生じる手法。

    ベクトルと成分を区別するための記述方法を徹底することで、増減は生じない。

  • 等式に未知の関数を追加した後も等式を保持させる

    等式が成立している状態で、新たな未知関数を追加する場合、追加後も等式を保持するのであれば、追加された未知関数は係数1を示す。アインシュタインはこの方法で未知関数φを追加し、負の速度vが光速度を超過してしまわないよう符号を逆転させている。追加の後で不等式になる可能性が見落とされている。

    未知関数を追加した時点で不等式に変化した場合を想定するだけで、解が無数に増える。

  • 単位の後付け

    エネルギーと質量の単位を設定せずに考察を進めた理論は、理論展開の内容にかかわらず比率は未設定となる。一般的に、単位の設定と同時に未知の変換係数が伴うが、E=mc2の論文では、展開が完全に終了した後で単位のみを設定している。この時点で変換係数を1として省略したのと同じ効果が発生する。変換係数が1である証明をすることなく、は等式のまま評価されている。

    単位の設定を理論の冒頭に持ってくるだけでE=mc2が未完成だと判明する。


論理・物理トリック

数学トリックに気付かないまま、物理理論や仮想実験で

 「時間と空間は相対的なものだ! 相対速度によって変動する」

なんて、やちゃったもんだから。もう時空を支えていた数学の基礎から歪みまくり。この状態で仮想実験してまともな考察ができるわけない。

座標系や単位の設定をコロコロ変えてみたり、論理に行き詰ると数式で無理やり進めたり、相対論の効果を説明しようとするたびに、新しいタイプのトリックが増え続けるヨ。

  • 矛盾とパラドクスの混同

    相対論で提示されるさまざまなパラドクスは、「一見矛盾しているようだが整合性が保たれている」と説明される。これらは計算結果についての矛盾を解消しようとするもので、根底にある数学上の誤りについては何ら解決していない。

    パラドクスの原因になっている数学上の「誤り」について考察することで、相対論特有のいい訳は無効になる。

  • 絶対時間や絶対空間は証明されたものではない・・・

    一見、公平な立場から空間や時間に対する相対的な考え方への妥当性を考えさせ、相対論的な見方を否定する理由などないと思わせる。しかし、この主張には、今まで使っていたガリレイ変換やデカルト座標による物理方程式の表現方法を使わないという制約が付随する。新たな理論ではどのような表現で空間や時間を表現してゆけばいいのかという重要問題が先行する。

    表現方法の提示がなければ方程式は表現できない。

  • 必要なパラメータの削除による同一視

    物性などの特徴を表す固有のパラメータを削除してゆくと、共通のものが残る。アインシュタインが提唱した等価原理は、重力と加速度を区別するためのパラメータを削除して同一視できる状態を仮想して同一視したもの。同一視とした後に削除したパラメータを復活させる。トリックが成立する。

    重力と加速度の固有のパラメータについて考察を始めたときに等価原理がくすれる。

  • 演算自体の座標変換見落とし

    座標変換をする場合、値や符号を変化させるのは常識だが、演算に関しては見落としがち。座標変換を含む演算、たとえば電磁気学で用いる「外積」は、座標変換を含み、変換の影響を受ける。マックスウェル方程式がローレンツ不変だと思われている一因は、ヘルツが行った変換から「外積」が演算として除外されていたから。

    外積に着目して座標変換をすれば、マックスウェル方程式がガリレイ変換不変だと判明する。

  • 速度vで空間の曲率が決まる

    相対論では空間の曲率を求めるために、ガリレイ変換で得られる速度vを利用する。この速度vは最後まで変化しない。

    否定されたガリレイ変換が相対論を支えている。

  • 空間は3次元?

    一般的に空間を3次元と時間を1次元と表現しているのは、人が扱いやすい直行座標で表現しているからにすぎない。不便だが空間は1次元でも表現可能。人為的な扱いやすさで自然を変形しているニュートン力学の習慣をそのまま継承した座標理論が絶対座標を否定するなら表記方法に対する再検討が必要になる。

    相対論の構築前に座標の表記方法について議論できなければ、ニュートン力学に準ずるということになる。

  • GPSが正確なのは相対論のおかげ

    GPSの人工衛星に搭載されてる時計に相対論的補正が施され、「1日あたり10km以上の誤差が出てとても使い物にならない」という誤った主張が信じられているため、正確な位置を示すGPSに相対論が不可欠との誤解がある。これは仮想的な1日の補正時間と光速度を単純に掛けあわせて光の進む距離を試算したものにすぎない。GPSの原理を考慮した計算とは根本的に異なる。

    人口衛星とカーナビ側の時刻を人口衛星の時刻のみから連立して求めていることを知っていれば、1日の補正時間なるものが架空だとわかる。


心理トリック

数学や物理学と関係ない人の心理や精神状態を操作して、有意な立場を形成しようとするもの。トリックというよりは、詭弁。正当な学問では通用しないが、疑似科学を主張する相対論では特に多く見受けられる。

  • 世界で数人しか理解できない・・・

    そのような理論には、「理解」して頭がいいと思われたい人々が結果的に集まることになる。知ったかぶりの特異な学問が相対論の世界。

    「理解できない」と正直に言える勇気があれば、疑似科学はなくなる。

  • 常識を疑え・・・

    新たな理論を受け入れるためには発想の転換が必要だと、常識を捨てて先に進むように促される。

    疑問や違和感の本質が数学との不整合であると気付けば、ルールの転換を強いられていることにも気付く。

  • アインシュタインの理論だから・・・

    「天才の理論に間違いがあるわけがない」と、検証もせずに鵜呑みにしてしまう傾向がある。

    アインシュタインの理論だからこそ、間違いが多いという事実を認めることで回避可能。

  • 何万人も検証している理論に、誤りがあるわけがない・・・

    検証の方法や内容について、出尽くしているという先入観から、検証の意味を見失う。何万人が気づかない根本的な検証が残されている。

    新たな検証項目の可能性をつぶさないような発想力が必要。

  • 誤っている理論に税金が使われるわけがない・・・

    検証の名目で使われた税金を理論の立証の根拠にしてしまう。スーパーサイエンスでは関係者が監査している悪循環が続いている。

    税金の使い道で科学理論の正否を判断しないこと。

  • 論文を出せ・・・

    論文を発表している学者こそが自然科学を理解しているという権威主義の表れ。論文を受け付けられない一般人の発言の方が利害のない率直な意見を出せる場合が多い。

    自然に学ぶ謙虚さがあれば、科学に論文の提出など不要。

  • 相対論の誤りが見つけられたらノーベル賞ものだ・・・

    アインシュタインのノーベル賞受賞は、相対論が正しかったからではなく、光電効果の解釈に対するもの。相対論の誤りはきっかけがあれば誰でも理解できる。

    受賞の困難なノーベル賞を持ち出して理論の正否の判断基準にしないよう注意が必要。

  • 相対論では,・・・を禁止していない

    たとえば、相対論で超光速を扱うなど、理論の前提や提唱した人物が禁止していない範囲なら理論を拡張できるという主張がある。理論で採用した式が、限定された条件で成立していれば、当然、提唱した人物の意に反して拡張は制限される。

    数学理論に合致しているかという観点が最優先であって、理論の提唱者の解釈で判断することではない。

  • 反相対論はとんでも・・・

    相対論に疑問を持つと「とんでも」や「愚か者」扱いする学者もいる。

    議論の場を奪う発言に惑わされず、淡々と科学的な考察を実施すればいい。

  • 相対論では2つの事実があたりまえ

    2つというのは仮想実験で観測系が2つの場合。現実世界で観測系は無限に存在し、無限の事実が存在することには言及されない。これは表現の基準が確定していないために起きている当然の結果で、問題の本質は、事実の数ではなく、表現方法が確定していない理論で評価を下しているところ。

    表現方法と基準の設定がされないものは、事実と認めなければいい。