アインシュタインはE=Mc2をどうやって導いたんだろう
実験もしないのに・・・
1946年に発表された「質量とエネルギーの初等的証明」では、質量からエネルギーへの変換にc2の係数が関係してると分かって、みんな相当びっくりしたみたい。何しろリンゴ1個が大きな山を吹っ飛とばすくらいのエネルギーを持ってるらしい。安っぽいSFではよくこの式が出てくる。それほどみんなにスゴイ式だと思われてる証拠だね。
この式は相対論と同じようなトリックを使って創作されてる。「質量とエネルギーの初等的証明」ではE=Mc2の簡単な導出法を説明(証明?)してるから、注意深く読めば必ずトリックも見つかるはずだよ。
質量とエネルギーの等価性の初等的証明
Albert Einstein.Elementary derivation of the equivalence of mass and energy
Technical Jornal, vol, 5(1946,) pp.16〜17
この理論は一般相対論の原理と、次の三つの法則を用いたものである。
1.運動量保存の法則
2.輻射圧の式、すなわち一定方向に進む輻射の複合体の運動量
3.よく知られた光行差の式(恒星の見かけの位置に対する地球の運動の影響―ブラドレー)
いま、物体Bが座標系Kに対して空間に力を受けずに静止しているとする。二つの輻射複合体S、S´がれぞれE/2のエネルギーをもって正負のx0方向に進み、Bに吸収されBのエネルギーがEだけ増加した。対称性の理由から物体BはK0に対して静止を続ける。
さて、同じ過程をK0に対して一定の速度vで負のZ0方向に動いている座標系Kから眺めたとしよう(図1)。その場合、Kに関しては上の過程の記述は次のようになる。
物体Bは正のz方向に速度vで動き、二つの輻射複合体S、S´はKのx軸に対して角αをなす方向を持っている(図2)。光行差の法則によれば、第1近似でα=v/c(ただしcは光速度)である。K0における考察から、Bの速度はSおよびS´の吸収のあとで変わらないことがわかる。
座標系Kにz方向の運動量保存則をこの系に適用してみよう。
1. 吸収前のBの質量をMとすれば、MvはBの運動量を表わす。(古典力学によれば)、おのおのの輻射複合体はE/cのエネルギー、したがってマックスウェル理論のよく知られた結果からE/2cの運動量を持っている。これはSのK0系に関する運動量である。
しかし、vがcに比べて小さければ、Kに関する運動量も2次の微小量(1に対してv2/c2)を無視すれば同一である。運動量のz成分は(E/2c)sinα あるいは十分な正確さで(高次の量を無視して)(E/2c)α=(E/2c)(v/c)である。したがって、S、とS´とを合わせてEv/c2の運動量をz方向に持っている。したがって吸収前における系の全運動量は、Mv+(E/c2)vとなる。
2.吸収ののちのBの質量をM´とする。ここでエネルギーEを吸収したために質量が増加したことが予言される(これは考察の最後の結果に矛盾が生じないために必要である)。したがって吸収ののちの運動量は、
M´v
である。さて、運動量保存則をz方向に対して適用すれば
Mv+(E/c2)v=M´v
すなわち
M´−M=E/c2
この式はエネルギーと質量の等価性を表す。エネルギーの増加Eに対して質量の増加E/c2が伴う。通常の定義によれば、エネルギーは付加定数だけ未定のままであるから
E=Mc2
になるようにこれを選ぶことができる。共立出版株式会社 アインシュタイン選集1 p51〜53より抜粋、要約
この論文は途中で同じ文字を違った意味に再定義したり、しなくてもいいような不自然な設定変更をしている箇所がいくつもあるから、惑わされないように注意点をあげておこう。
- 二つの輻射複合体S、S´のエネルギーをEからE/cに再定義
- 輻射複合体のz成分sinαを近似値v/cに置き換え
- v2/c2を2次の微小量として無視
- 仮想実験が終わった後で、作式
- 質量を速度vで運動させた後vで割る
- エネルギーのz成分をv/cで取り出す
- 質物体Bの質量MがM´に増加したものをMと再定義
上のようなことをするとどうなるか。アインシュタインは気づいていたのかいないのか? 式を簡単にするのが目的なら、最初からそのように設定できたはず。あとから処理するというというのは、トリックを発生させてしまうので避けた方がよかったんだけどね。
仮定を書いただけの式を複雑な式に変形させて
シンプルに書き直すと、まるで証明が終わったように錯覚する
もし、関係のわかっていない質量MとエネルギーEをいきなり等号で結んで、
M=E「質量はエネルギーと等価である(かも)」なんて大声で発表しても、だれもびっくりしないよね。
「質量とエネルギーの関係をイコールでつないだだけで、何も証明してないじゃないか!」
なんてツッコミが入るに決まってる。アインシュタインも同じことを考えたのかな。論文の中で、と言いきっちゃったから、この直後にエネルギーEが物体Bの質量増加分に変換されたと仮定したことを表わす式、「ここでエネルギーEを吸収したために質量が増加したことが予言される
(これは考察の最後の結果に矛盾が生じないために必要である)」M+E=M´が書けたはず。ついでに、M´−MからMへの再定義もここで実行できるから、E=M「質量はエネルギーと等価である(かも)」なんて最高にシンプルな式の出来上がり。ちょっとまてよ。ここでこんなストレートな式を出してしまったら誰も相手にしてくれない。そりゃそうだよね。誰が見たって、
「最初の仮定を式にしただけじゃん。それに変換係数がないから全然説得力に欠けてる」じゃあどうすればいい?
とりあえず、ひたすら仮想実験と再定義をして関係ない文字をゴチャゴチャ詰め込むってのはどう。たとえば、同じ現象を別の運動する座標系から眺めたり、z成分だけ取り出したり、文字の定義を変えたり、とにかく「質量MとエネルギーEの等価は仮定です」ってことが一目で分らないようにする。そしたら、おもむろに式を表に出すんだ。さりげなくホイッとネ。
「ホイッ! 」Mv+(E/c2)v=M´v「質量Mの物体Bの運動量と輻射複合体S、S´の運動量保存則をz方向に対して適用したものを足すと、輻射複合体S、S´を吸収して質量がM´に増えた物体Bの運動量に等しい。という式じゃ。フゥ−。」すると不思議なことに、元になった式が仮定でも、受ける印象は全然違う。
「同じ現象を座標系を変えて考察するとはなんとユニークな。高度な理論物理学のテクニックを拝見させてもらおう」
大勢のギャラリーに囲まれても堂々と、
「さぁお立会い! まず、この式の両編をvで割って式を整理する。」M+(E/c2)=M´「次に、質量の増加分M´-MをMに置き換えると、あら不思議!」E=Mc2「この式はエネルギーと質量の等価性を表す」「オオ−! なんと美しい式だ!! これこそ究極の真理だ!!! さすが天才アインシュタイン先生!!!!」
ヘェー、そんなにビックリマークつけるほど、すごい方法だったんだね。そうだと思ってたよ。みんなも同じ方法でいろいろ証明してみよう。って、まだ証明終わってないよ、オイオイ!最初の仮定式にc2をくっつけただけだよね!これ!!
「それが莫大な数字になるからもっとスゴイのだ! ああ!! 偉大なアインシュタイン先生!!!!!」
あの! その!! 莫大な数字を求める手順をふんでなかったんだけどぉ−ッ!!!!!!
「それが何か?!!!! アインシュタイン先生−−−−ッ!!!!」
じゃあもっと美しくしようよ! MとEの変換係数以外にc2が付け足された状態では、c2は付加定数だけ未定のままであるから、ホイッ!
E=Mになるようにこれを選ぶことができる。振りだしに戻しといてあげたヨぉ−ッ! アインシュタイン先生−ッ!!!
ってこと証明してくれてアリガト−−−−!!!複雑な式から仮定を取り出しただけで、
証明に成功したように見える
輻射複合体も物体Bも座標系もM=Eを隠すためのカモフラージュ。それにcはもっといらない。とにかく天才物理学者もダマだまされる仕掛けがいっぱい詰まったE=Mc2の謎解きは始まったばかりだよぉ−−−−ッ!!!! アインシュタイン先生−−−−−ッ!!!!!
とりあえず「質量とエネルギーの初等的証明」の
問題点をあげてみたよ歴史的な論文がこんなに短いなんて。書いてあることが正しいなら簡潔な論文の方がいいよね。この短さは逆に誤解を招くことにもなってる。アインシュタインはこの論文で何を証明しようとしたんだろう。予想になってしまうけど・・・、
「こんなに簡単な方法で物質とエネルギーの等価性を証明することができる。
しかも、その変換係数はc2」
って言いたかったのかな?c2という係数を求めてるからには当然、数量を扱えるように数式で理論を展開する必要がある。でも論文には理論式しか出てこない。どんなに展開しても量を扱えるように変化するわけじゃないのに、誰も理論式と数式の違いに気付かないまま、「20世紀最大の発見」になってしまった。
「E=Mc2は核反応で証明されている。質量の欠損がエネルギーに変換されたことは明らかだ」
物質がエネルギーに変換されるかどうかがテーマじゃないことはわかるよね。E=Mc2で現実の物理現象を説明するのは式の検証が終わってからにしようよ。
この原因も含めてこの論文の問題点をザッとあげると・・・
- 理論式と数式を混同している
理論式は任意の量で理論を展開できる代わりに、数量的な評価はしないもの。任意の量ではじめた仮想実験は係数を得た後、数式扱いする場合は初期設定の式に未知関数を記入する必要がある。- c2が莫大な量だと勘違いしている
cが光速度を表わすという前提から、cの二乗がもっと大きな数字になると思いたくなる。しかし、光速度c以外の速度成分が存在しないE=Mc2では、cは速度成分の存在を表す以上の数量的な意味を持たない。- 単位系の採用を想定している
式を評価する際に、単位系の選択が前提になってるが、質量とエネルギーを結びつける単位系が確立されているのなら、等価性は単位系の定義上で、すでに判明していることになる。- Mは質量Mでなく運動量M1の省略形
等式を維持するには左辺と右辺は同じ処理をしなければならない。運動量Mvをvで割る時、式の反対側E/c2を速度成分を含まない値vで割っている。運動量Mvは速度成分を残したまま運動量Mとなるが、式の評価時は質量Mと解釈している。- 片道だけに光速度不変を採用している
静止系から運動系、運動系から静止系への設定変更のうち、光速度不変の原理が採用されているのは静止系から運動系へ輻射エネルギーを変換した1回のみ。- 「質量=エネルギー」が仮定されたまま終わっている
座標変換の失敗でc2が発生したことから、等価性も同時に証明されたと錯覚しているが、先に質量とエネルギーの等価性の証明を終了していなければ、係数の導出は不可能。- エネルギー保存の法則の適用範囲が間違っている
エネルギー保存の法則は系全体のエネルギーの総量について有効。輻射エネルギーのz方向のみでなく、全体のE/cに適用すると式は、当然、初期設定M=E/cに戻ってしまう。- なぜかz方向のエネルギーを取り出している
物体Bに吸収され、質量に変換されたのは輻射エネルギーのx成分。輻射エネルギーのz成分は物体Bが静止してると解釈した時点で0になるため求める必要はない。- 速度vで運動する座標系はいらない
最終的に物体の運動速度vが入っていない式を評価するということは、運動速度に依存しない仮想実験が可能ということ。任意の速度vを一般化して速度1とした場合、v/c=1/cとなる。1/cで掛けることは、輻射エネルギーのみを単純にcで割ったことになる。- 物質Bはいらない
式の中では物質Bの質量増加分のみが残るように再定義されて、物質Bは消去されている。エネルギー同士が衝突して反応することを避けるために物体Bを想定したと思われるが、放射圧が物体を介在せずに直接対消滅することを前提とするなら、この時点で力の定義を拡大していることになる。- 単位体積あたりの計算が二重になっている
輻射エネルギーEの単位体積あたりの輻射エネルギーがE/cなら、z成分を算出する際、速度vを掛ければいいはず。v/cで掛けるのは、単位体積あたりのエネルギーをさらに基本距離あたりのエネルギーに換算していることになる。- 相対論と同じトリックを使ってる
相対論の論文「運動する物体の電気力学について」と同じように、観測対象の移動方向と直角に移動する座標系を設定し、斜めに見える合成距離への変換に光速度不変の原理を応用。これを不完全に行うことで係数を発生させている。- 成立条件はv=c、v≠c
光速度不変の原理を採用すれば、輻射エネルギーの速度はcとなる。物体Bは輻射エネルギーのz方向成分と並走しているためv=c。v/cはc/c=1となる。またvがcに比べて小さいのという理論の条件下ではv≠c。- 光速度不変を採用すると崩れる
輻射エネルギーの速度がcであるなら、光速度不変の原理が適用されx、y、z方向の速度もcとなる。作図では直角三角形の3辺がすべてcになる。- 相対論を否定している
「2次の微小量(1に対してv2/c2)を無視する」とは、相対論の変換式がガリレイ変換と等しいということ。この論文の成果が相対論と両立しないことを意味している。- 相対性原理に反してる
物体BとエネルギーEの座標変換式が同一でない。- 輻射のz成分と輻射複合体の運動成分を間違えてる
物体Bに吸収される対象は速度cを持った輻射エネルギーそのもの。座標変換に使われているv/cは輻射エネルギーを発してる輻射複合体の動きのz成分。輻射エネルギーの計算に、エネルギー発生源の動きが採用されている。
上にあげた項目は、未検証のものや同時に成立しない項目もあるってことを頭のすみに置いといてね。科学者が主張をコロコロ変えないなら、この中の1つの指摘事項でE=Mc2が架空の式だと証明できるよ。
Copyright© Mamoru Hidaka