2つの封筒のパラドクスの結論だヨ

面白そうな「2つの封筒のパラドクス」を解析しようと簡単に考えてたら、次から次へといろんなことが出てきてたいへんなことになったヨ。とっくの昔に数学の専門家が解決していると思っていたけど、ほとんどの解説が間違ってるとこ見ると、やっぱり未解決だったのかな。

point

2つの封筒のパラドクス」の解説は、
確率の基本から検証する必要がある。

とりあえず結論を出してみたんで、前ページの盲点と合わせて参考にしてネ。



「2つの封筒のパラドクス」の正体は妄想イベント

ネットを見ても「2つの封筒のパラドクス」の本当の原因はハッキリしない。正解とされている解説の多くが、「確率」と「期待値」を計算することに夢中になっているような感じ。じゃあ、このあたりをもう少し検証してみよう。




期待値計算の「+」が迷宮への片道切符

意外と多いのが、「交換した方が得」という解答。

0.5A、あるいは円と2A円の2通りの組合せしか考えられないとしたら、どちらの組合せもそれぞれ確率1/2とするのが自然である。

したがって期待値は、

0.5A円×1/22A円×1/2=1.25A円

交換した方が得になる。期待値が現実と一致するとは限らん。

なーんて解答は、説明するまでもなく論外。どうやら、大学の先生なんかがもっともらしく解説したり、本に書いてるから正解だと勘違いされてるようだネ。早く訂正してたほうがいいと思うヨ。


一般的にもう少し慎重な解答例はというと、

0.5A、あるいは円と2A2通りの組合せの比率は未知数じゃ。

0.5A×(α2A×(1-α

封筒の金額を用意する条件が不明な限り、期待値を求めることはできん。

これは、うーんいい線いってるかなって言いたいけど、この先が続かない。なぜ続かないかと言うと、これもいきなり「2つの封筒問題」から脱線してるから。


上の2つの解答例で共通して問題になるのが「」というプラス記号。先に説明したように、この「」は、もともと同一のイベントの確率に戻すために使うもの。そして、異なるイベントの確率を足し合わせるために使ってしまうと、新しいイベントを生成してしまう副作用がある。

手持ちの金額がだと認識したあたりから、の封筒を中心に残りの封筒をひと固まりと考え始めて、頭の中にあった0.5A円、2A、が同じイベントに共存していると錯覚して、

可能性のある封筒の確率を合算すれば、期待値が求められる!

というアンイな考えで、それぞれの出現確率を「」でガッチャンコしちゃった。

「+」でパラドクスが始まる

この統合によって、独立した2つの仮想イベントにあった、0.5A2A、そして共通金額の円が、同じイベントに存在する封筒の金額として再設定されたことになる。このように「2つの封筒問題」ではありえない3つの封筒を設定してしまう「」の使用の是非について、ほとんど議論されていない現状では、

point

」の使用について議論しない限り
2つの封筒のパラドクス」の解決は不可能。

使い方を間違わなければ、「2つの封筒問題」の解答に「」なんか必要ない。つまり、期待値計算の式に「」が入っている解答はほとんどが誤りだってことになる。

この先もまだまだ説明しなきゃならないことが山ほどあるってことは、やっぱり未解決問題だよネ。


事前準備ありなしの比率が未知のまま

手持ちの封筒に対して予想した2通りの組合せを「」で統合したために3種類に増えてしまった。もちろん、このままでは「2つの封筒問題」の出題に使えないので、3種類の封筒から、封筒2つを選択する事前準備のイベントを想定しなきゃって流れになる。

封筒をどのように事前準備したかは、確率期待値を決定する重要な要素になってくるのじゃ。

ということで、どうやって2種類の金額の組合せを選んだか、出題者のフトコロ具合から心理学の話まで出てくる。おまけに金額の上限や奇数だった場合とか、本題とは関係ない話で手がつけられなくなっていく。

そもそも、

point

出題者が手持ちのお金を1対2に分けて封筒に入れたら、
3つの封筒から準備するイベントは仮想でしかなくなる。

3つの封筒が関わっている事前準備のイベントのことを考える意味もなくなるから、期待値を計算している式もいらないってことだネ。

大丈夫。そのような場合でも、出現確率に未知数αを導入した式なら対応可能じゃ。この値を、あるいはに取ることで、事前準備の段階で封筒が2つしか用意されていないパターンが再現できるのじゃ。

α=0なら、

0.5A円×(2A円×(1-0)=2A

α=1なら、

0.5A円×(2A円×(1-1)=0.5A

交換した時の期待値は、0.5A、あるいは2Aのいずれかじゃ。

それはそうだけど、もともとは、封筒3種類を同時に妄想したから必要になった式だよネ。封筒が2種類しかないなら、αを代入して計算するまでもなく、式の存在理由がなくなるネ。

つまり、

point

この式は、2種類の封筒しかない場合には存在していない。

もともとは、「2つの封筒問題」の参考にするために、起こりうる可能性をありったけ出しつくして期待値を計算したかったはず。ところが、「2つの封筒のパラドクス」で、封筒が3種類ある「事前準備あり」の可能性について考え始めると、この限定された条件に合ったパターン内だけで結論を出してる。

事前準備の「事前準備あり」パターンについて考えたなら、「事前準備なし」パターンについても考察しなければ、「2つの封筒問題」の準備のパターン全体で確率にならない。

封筒が2つしかない「事前準備なし」の確率βとして、そのカラクリを図示すると・・・

     「事前準備イベント」を認めると確率は不明になる

封筒が2種類しかないと仮定したなら、準備イベントも不要なので3種類の可能性は消してしまって何も問題ない。逆に、封筒が3種類以上あると仮定してしまった場合は、余計な準備イベントの可能性が追加されただけで、「事前準備なし」の可能性を消していいわけじゃない。

期待値の計算式まで見せている解答例は、「事前準備あり」の想定の中だけで結論を出して、「2つの封筒問題」の結果だと思い込んでる例がほとんど。「事前準備なし」のパターンについて何も考えないまま終わっている。

問題の封筒が2種類そろうまでの考察として、「事前準備あり」と「事前準備なし」の合わせて2パターンの可能性がある。2つを合わせた全体で確率になるから、「事前準備なし」の確率βが不明なら、「事前準備あり」の期待値をどれだけ必死に計算したところで、全体の期待値は依然として不明のままだヨ。

point

封筒が3種類以上と設定したなら、
事前準備なし」の確率βを求めない解答は誤り。

封筒が3種類以上あると勝手に想定して「2つの封筒問題」を解決しようとすると、知らないうちに次から次へと未解決問題がたまっていくシクミ。スゴイ問題だネ。




不要な数値があり、必要条件も表現できない式が正解?

事前準備まで考えると、封筒の種類はどうしても多めになるのは想像できるけど、本題で使う封筒は、はじめから2つだけ用意してあったってことでいいんじゃない?

あらゆる封筒の可能性を考慮した上で確率計算に反映させなければ数学的に正しい答とは言えない。
事前確率を考慮すれば、封筒が3つになるのは当然なのだ。

式が存在しえないという考察だけでは、まだ使おうって人がいそうだネ。あらゆるパターンの可能性を考えなければ正確な確率を求めることができないのもよくわかるし、見落としがあったんじゃ正しい答にたどりつけないのもわかるヨ。

数学的に厳密な答を出そうと、ほとんどの人が可能性のある封筒や数値の、あんなことやこんなことを想像して、もうこれ以上慎重に考えなくても大丈夫と思うくらい可能性を出しつくしているみたい。

でも、「事前準備なし」の確率を認めた場合、絶対に見過ごせない別の「確率」が顔を出してくる。それは、仮想のビデオ撮影で確率の組合せを判断するでも触れたように、

point

解答式の中に、100%の確率で不要な金額が含まれている。

ということ。

0.5A円×(α2A円×(1-α

について、0.5A2Aのどちらか一方は、必ず無関係な金額になる。いろいろと不明な設定が多い「2つの封筒問題」で、確率で必ず発生する事象として、

point

3種類の封筒を想定した期待値計算では、
解答式の中に、確実に無関係な数値が入り込む。

何も知らない第3者が式を見て何を期待するかという観点から考えてみると、前者は、同じ封筒で問題を何万年繰り返しても出てこない金額を期待させるし、後者は、答がはっきりしていないので解答しているとは思わないかもしれない。

出現しないものを期待させるより、はじめから「どっちかわからない」と言ってあげた方が親切な気もする。正解を知っている出題者が、見たこともない金額が入った「不可解な計算式」を見せられるのと、「0.5A円か2A円のどちらか」と解答されるのではどっちがガテンがいくだろうネ。

専門家からすれば、この式だけで「2つの封筒問題」の
期待値がすべて計算可能なところが重要なのじゃ。


やっぱり数学の問題だからネ。余計なものがない方がいいに決まってる。

じゃあ、その式のαに数値を代入して、「0.5A円の場合」と「2A円の場合」が計算できてから、「事前準備なし」の解答に使うプロセスを見てみよう。

    「事前準備イベントなし」の「どちらか」が必要

ここで着目するのは式を成立させるための条件の出どころだヨ。この構図で根本的におかしなことに気付かないかなァ。

point

事前準備なし」にまで適用させようとすると、
式に入っていない「or」を追加しなければならない。

or」は、「2つの封筒問題」で「わからない」と答えるときに出てくる。どっちかハッキリしないと考えたときの解答で中心的な役割を果たしている。

期待値計算に使う式には、はじめからそんなものはない。計算し終わっても、「0.5A円の場合」が出て終わり。あるいは「2A円の場合」が出て終わり。個別のパターンは個別に数値を代入して計算したらそれで終わり。「どちらか」という二択の表現はどこにもない。

わからない」という答が、二択のデジタル的構造だとすると、期待値を計算する解答は比率が変動するアナログ的構造。αに代入する数値を変えれば、1つのパターンは計算できるけど、どちらか不明という場合の複数パターンについては表現しきれない。

これを無理やり「or」を借りてきて、「0.5A円の場合or2A円の場合」という構成に変えようとすると、それはそれでまた別の問題が出てくる。

2つの式の寄せ集めた構造を認めてしまうと、

point

単独では解を表現できない式が複数解を表現している
数学的矛盾を容認することになる。

あらゆるパターンを表現できているはずの式は、実は計算値にしか着目していない。構造まで解析してみて初めて「2つの封筒問題」の論理的条件に対応できていないことがわかる。おそらく、専門家が悩まされているパラドクスの一部は、この矛盾する構造に起因している。

足りなくなって急に借りてきたり、条件違いの式を複数用意しなければ正解を表現できないなら、単純な「どちらかわからない」の方が数値的論理的に、より正解にふさわしいと思うナ。

もっとも、「2つの封筒のパラドクス」で、なにか困ったことがあると必ず「2つの封筒問題」の考え方の助けを借りながら問題を継続する構造は、気付かないふりをしてればもう少しパラドクスで楽しめそう。




可能性のあるパターンは未検証で未知だらけ

金額を仮想して、みんながやっている余計なことで説明したように、2つの仮想イベントを想像した段階で、低額高額のどちらかしかあり得なかった2つのイベントを足し合わせることで、解答者は手持ちの金額を中心に期待値の考察を始めてしまう。

3つの封筒が準備されていたと考えてしまうと、またまたややこしい問題が出てくる。

手持ちの金額基準なら、低額中額中額高額2通り以外の組合せはあり得ない。何も問題無いではないか。

そういった考えも2つの封筒しかない場合で考えた結果を組合せているからこそ成立している。準備イベントで用意された3つの封筒のうち、中間の金額が必ず手持ち金額になるなんて、そんな奇妙なことある? 

奇妙ではない。「手持ちの金額を見たところであった」
という特定の条件についてのみ摘出した当然の結果なのだ。

そうなのダ。「手持ちの金額を見たところであった」というのは、あらゆる可能性を考えたパターン全体ではなく、特定のパターンだけを抜き出した結果にすぎないのダ。

つまり、3つの封筒に設定変更されたにもかかわらず、

point

手持ちの金額を中心に「もう1つの封筒を考える」のは、
低額、高額の場合を除外しているにすぎない。

どう言うこと? 

2つの封筒問題」で手持ちの金額を見て想像したのは、あくまで低額高額しかない場合の選択肢であって、3つの封筒を想定してあったわけじゃない。「2つの封筒のパラドクス」のように、はじめに封筒が3つ準備されていた想定に設定変更するなら、手持ちの中額だけでなく、低額中額高額の可能性が出てくる。

    事前準備で封筒が3つなら、A円が低額、高額の確率が必要

これらの確率を全部足して、やっと手持ちの封筒にが入っていたすべてのパターンから形成される確率1が成立する。それぞれのパターンの確率を求めないと交換した時の期待値の話ができる状態にもならない。中額だけに限定した期待値計算の議論は、低額高額だった場合の期待値計算のことを全く忘れてる。

point

中額を中心に期待値を議論したところで、
全体の確率不明の状態は永久に抜けられない。

2つの封筒のパラドクス」の構造は、議論の的になっているテーマの外側に、さらに未知の確率が入れ子のような構造で覆い尽くしている。どんなに慎重に個別の確率を計算しても、そのさらに外側にあるイベントの確率が不明じゃ期待値の出る幕もないネ。



「2つの封筒問題」のまとめとタネアカシ

ここまでの情報で「2つの封筒問題」から「2つの封筒のパラドクス」に移ってからの仕組みや疑問を説明できそうなので、全体の構造を確かめながらまとめたヨ。

2つの封筒問題」には基準がない


    2つの封筒問題

2つの封筒問題」は、単純に2つの封筒を交換するだけの閉じた交換イベントになっている。まずこれを意識できているかどうかで解答の方向性がまったく違ってくる。

    閉じた交換イベント

この閉じた交換イベント全体を眺めるようにして意識できている人は、「封筒は2つしかない」し、確率は「1/2」のまま変化しないという性質から、何度交換を繰り返しても手持ちの金額は低額高額を行ったり来たりするだけとわかる。

そして、この2つの立場をまったく同等に扱って、この後、封筒の組合せや自分の持っている金額の情報が入って来ても、相対関係を解明する基準に関する情報でなければ、「わからない」と解答できるはず。

つまり、「2つの封筒問題」は、

point

閉じた交換イベント相対関係を評価する基準が存在していない

ということに気づき、これ以降の余計な情報に惑わされないことが重要になるんダ。


勝手に基準を設定!

さて、基準が存在していないために答が出せないとわかっていても、確率期待値計算で損得を計算できる手法を知っていると、

とにかく基準さえわかれば、あとは計算すればいいだけだ。

または、

選んだ金額を中心に、あらゆる可能性を想定することで損得が予想できるのじゃ。

というように、計算に使う基準相対関係を決定する基準(立場)と同じものだと勘違いしてしまう。

そんなときに、タイミングよく

選んだ封筒開けたら1万円が入ってたんだって。

という情報が入ると、早速、計算をはじめる。


勝手に基準を設定

自分を中心に様々な可能性を考えて、具体的な数値がどんどん計算できるから、「手持ちの封筒には1万円が入っていた」という情報こそが、「2つの封筒問題」の突破口になったと勘違い。

でも、閉じた交換イベントを意識できていれば、

point

解答するべき基準が設定されたのではなく、
仮計算のための基準が与えられたにすぎない

ことに気がついて、これ以上準備イベントの議論が無意味だとわかるよネ。


その結果、仮想的な期待値計算を「」で統合してしまうことで、封筒が3つ以上になり、組合せの可能性が増える。さらに設定が書き変えられて、さらにその影響で設定が書き換えれて・・・と、どんどん拡大していくという仕組み。


事前準備のイベントに気を取られてると、今度は事前準備なしの考察がおろそかになる。


様々な可能性を追求していくと同時に、裏では未検証の可能性もどんどん増えることになる。

結局、「2つの封筒のパラドクス」は、誤った基準を仮想して結論を出そうとしたものの、確率期待値の問題がいつまでも解決しないので、

point

根本的な原因が注目されない

ような巧妙な仕組みになっている。


パラドクスの原因は汎用式というデタラメ

根本的な原因に迫るために、問題の設定をおもいっきりシンプルな表現に変えてみて、「交換するか」を決定するために本当に必要な要素を絞り込んでみる。

質問

あなたの持っているのは、高額の封筒。
交換する?

交換はイヤダ。


質問

あなたの持っているのは、低額の封筒。
交換する?

コウカンスル!

というように、相対関係を評価する立場がわかる情報さえあれば、数値計算をするまでもなく結論が出せる。

そして、解答者の意思に関係なく、得をするなら必ず交換という条件でなら、「交換するか」という問いは、選択している封筒について問われていることになる。

質問

選んだ封筒は低額高額どちらの封筒か?

わからない

質問

選んだ封筒に1万円が入っていた、
選んだ封筒は低額高額どちらの封筒か?

ヤッパ わかんない


この場合、「1万円が入っていた」という情報が与えられても、「わからない」という結論を出せるのは、計算方法が確定していない単独値「1万円」によって、パラドクスが必然的に起こるわけではないことを示している。

先に説明したように、「2つの封筒問題」は、閉じた交換イベント内の相対関係を問われているにもかかわらず、それを判断するための基準を確定していないという構造上の欠陥があったよネ。

だから、ここでどんなに慎重に式をたてたとしても、結局、式は使えないまま、用意された数値も処理されないことになる。


立場がわからなくとも確率で表現可能じゃろう。
2つの封筒問題」の確率に関する考察は学術的価値があり、
統計学や投資にも応用可能な汎用性のあるものじゃ。

そう、

point

複数の基準確率で代替すると、
1つの汎用式に統合される。

本来なら、低額高額それぞれの立場で使う2つの式を作って、相対関係の評価をしたいところ。そのわからない部分を確率で表現するというアイデアが広く受け入れられた引き換えに、簡単な条件が見過ごされることになってしまった。


目の前に2つの封筒が置かれた場合、
確率で立場をうやむやにした汎用式は、
いったいどっちの封筒に適用にすればいいの?

どっちとな? 汎用じゃからどちらでも・・・
・・・ん?・・・お互いが得をする・・・?
   ・・・つまり・・・どちらかじゃ。


そもそも評価の基準(個別の情報)をあいまいにした汎用式で、個々の相対関係を評価しようというのが無理なハナシ。両方の立場に適用して、

お互いが得する。必ず交換した方がいい!

なんて主張に出てくる汎用式は、低額高額の立場が判明している状況では跡形もなくなってしまう。適用先が不明のときだけ現れる式から判断するなんて、予想じゃなくてデタラメと呼んだ方がよさそうだネ。



結論、実体は複数の「2つの封筒問題

2つの封筒問題」が「2つの封筒のパラドクス」になってしまう要因はいろいろあったけど、

もしも、手持ちの封筒が低額なら「コウカンスル!
     手持ちの封筒が高額なら「交換しない!

という最終的に得するようなルールで交換するなら、閉じた交換イベント内で自分の持っている金額がコロコロ変わるだけ。確率1/2のまま変化しないので正解も分からないハズ。

立場が変われば金額もコロコロ変わる

なのにどうして、を見ただけで、無駄なシミュレーションしてみたり、難解な理論を引っ張り出して答を見つけようとしてしまうんだろ?

あらゆる可能性を検証して、
数学的な確率を求めるためじゃ。

手持ちが1万円なら、5千円2万円の可能性がある。
あらゆる組合せを考慮してこそ数学なのだ!

確かに、あらゆる可能性を無視できないような気もするけど、間違った解答を主張しているのは数学が得意そうな人たちばかり。期待値を使った数学的解決を宣言する前に、結構アンイに使ってる確率についてもう少し考察した方がいいんじゃない?


一般的に問題解決の糸口を探そうと、あえて設定や方法を変えてみることがあるよネ。解決の確率を高めるために、新しく考えたあらゆる方法を「and」で加算するうちに、最初の設定とは違ってくる。このときの確率は設定を変える前提で使われる。

今度は、数学でよく使う確率について考えてみる。もちろん例外はあるだろうけど、先に設定が決められていて、後から確率を問われる問題なら、決められた設定や方法の範囲全体をとして起こりうるパターンを確率計算することになる。

もし、見つけたパターンが決められた設定や方法の範囲1に収まりきれない場合(「2つの封筒問題」では、封筒は2つしかないという設定)、確率計算式を「or」で複数の解答に場合分けしたりして、設定が書き換わるのを回避しなければならなくなる。

このような確率の違いを意識していれば、「and」で加算する確率を数学的解決に採用してしまったとき、問題設定の変化から間違いに気づくハズ。

ところが、「2つの封筒問題」で金額が低額高額の組合せしか考えられない基本段階では、同じ設定に対する2つの確率なので分母を通分する必要がない。そのために、確率計算によって問題の設定が書き換わることもない。


金額を設定しない場合、ANDの確率を使っても同じ答が出せる

これは、数学的に「or」の確率を使うべきところで「and」の確率を使ったとしても、

point

金額を想定する前では間違いに気づかない

ということ。

そして、この先で金額を仮想した時にようやく間違いの効果が表面化してくる。


金額を設定した場合、ANDの確率を使うと設定が書き換わる

and」を使う確率で通分したために、想像したあらゆる設定が「and」されて、3つ以上の封筒から2つを選択する事前準備や、その事前準備確率を求める問題の設定のように勘違いされて脱線が始まる。

複数の異なるイベントを処理したものは、事前準備でもなければ確率を求めるサンプルでもない。「2つの封筒問題」から飛び出した架空の設定だから、シミュレートを繰り返しても数学的意味はないよネ。

また、3つ以上の金額が同時に存在出来ないと気づいて出現率のα01を入れたとしても、「or」の確率を使ったのと同じ効果で、パラドクスを回避できる。


orで分離しておけば正しい設定が維持される

ようは、設問の基本設定を書き換えなければいいんだけど、金額を仮想する手順そのものに間違いがあるとは思えないよネ。それなら、もっと根本的な指摘をしておこう。
 ● 一旦、用意(設定)された封筒の金額は変動しない
 ● 解答者が金額を予想した時点で交換の是非が決定してしまう
以上のことから、・・・

指摘

 「2つの封筒のパラドクス」の正体は、
 設定の異なる複数の「2つの封筒問題」である

手持ちの封筒に1万円が入っていたら、

1万円5千円で構成された「2つの封筒問題」の解答は
 「交換しない!」 解答オワリ!

2つの封筒問題」と別の組合せなら、別の「2つの封筒問題」として、

1万円2万円で構成された「2つの封筒問題」の解答は
 「交換する!」  解答オワリ!

2つの封筒問題」の出題が1回だけなら、実際に用意されるのはどちか1組だけ。金額の予想をした時点で、アタリかハズレどちらかになる。別パターンを含めた確率まで考えてしまうと、違う設定の問題を追加したことになるんだ。

もちろん、交換の是非は「ワカラナイ」が正解というのは変わらないヨ。

つまり、2つしかない封筒の問題を複数寄せ集めて、確率論を展開した結果、「2つの封筒のパラドクス」になって、同時に存在出来ない金額の期待値から「交換した方が得」と判断していたなんて、数学以前のバカバカしいオチだネ。

「ワカラナイ」ことがイッパイあるから数学はおもしろいんだヨ。



「2つの封筒問題」のかんそう

相対性理論とそっくり

2つしかない封筒の問題をわざわざ複数集めて別の問題を作って悩んでいた「2つの封筒問題」だけど、解決の糸口を探っているつもりが、大量の誤答で頭の中が埋め尽くされるような構造を持っている。重要なのは問題を解いちゃダメだってこと。

もし、「2つの封筒問題」で、回答者自身が問題を書き換える特徴を捉えることができたなら、同じような仕組みで誤答を量産している相対性理論の本質を見破れる可能性があるヨ。

誰が計測しても光速が一定になるように、観測者ごとに時間と空間のスケールを変える理論を提唱したアインシュタインは、

point

理論の初期設定を完成させるために、
光速cを暗算で一定値にして以降、
その暗算について記録すらしていない。

これのどこが誤りなのか・・・。

暗算で何やったかで理論が書き換わってしまうじゃん。

って話。

せめて暗算の存在を記録しとかないと、数字が合わなくなった原因がかわからなくなるからネ。そう、アインシュタインはこれを忘れたから、時空をゆがめて「解決」してしまったワケ。

2つの封筒問題」とは比べ物にならないほど深刻な問題を引き起こしている相対性理論のナゾも、「解決」を急がずに、ていねいに解析するとナゾが解けるはず。理論が完全に崩れる前に挑戦したほうがおもしろいヨ。

まずは、アインシュタインが相対性理論を発表した論文をまず読んでみよう!
「運動している物体の電気力学について」について